東京オリンピックの開催で日本中が湧き上がっていた昭和39年、遅咲きの桜の開花とともに、天王寺区小宮町で和田けんじは3人兄弟の末っ子として産声をあげた・・・。
家は眼鏡レンズの製造業を生業としていたため、父も母も休みなく働く毎日。ヤンチャ坊主のけんじは兄や姉の後ろをちょこまかと走り回り、路地の片隅で缶ケリ、かくれんぼ、ベーゴマ……と遊びふける日々。お受験が珍しくない昨今の子どもたちとは大違いの少年に付けられたあだ名は『アパッチ』。真っ黒に日焼けした、元気が取り柄のガキ大将だった。
小学校へ入った頃、けんじはプロ野球選手になることを夢見るように。王や長嶋、上田二郎が活躍した時代、1年生の時に初めて父にねだったグローブで、毎日壁を相手にキャッチボール。4年生から生野リトルリーグで活躍することとなる。しかし、ケンカ好きのガキ大将ぶりは相変わらず。そんなけんじを変える運命の人物が現れるのは4年生の春、中溝たかえ先生との出会いであった。